12/31/2016

写真で今年を振り返ろう。そして来年もよろしく。 #cerezo #photo #diary


今年も残すところあと半日、2015年はたくさんのものを失った。2016年は反省すべきところは反省して、前に進みたいと、ただそれだけを考えてた。

一人で、がらんどうで生きる自分が、サポーターとして何を成せるかと考えて、行き着いたところが写真だった。

どんな遠いところでも、カメラとレンズ2本、ノートパソコンを持って行く。日帰りできない遠隔地はホテルの中で現像作業をした。そうして、何かしら人の心に残せるものを作ろうと、それだけを考えた。

12/30/2016

セレッソ大阪U-23は順風満帆なのか? #cerezo #米澤令衣 #小暮大器 #小谷祐喜


今年から、セレッソ大阪はU-23の選手たちで組織された「SAKURA NEXT」を立ち上げ、J3リーグを戦った。

J3リーグは決して緩いリーグではない。一年でJ2復帰を狙う大分、栃木をはじめ、たくさんの力あるクラブが参加している。去年J3から昇格した町田や山口に対してはトップチームでさえ大苦戦をしている(特にホームでは辛酸を舐めさせられた)

12/27/2016

「作ったもの」の価値ってなんだっけ? #photo #diary



「その画像、拾ったんです。他意はありません。」


今年何度も聞いた言葉だ。Twitterのカバーやアイコンに画像を使うのは、それは平気なんだ。もともとクラブからもお目こぼしをしていただいている風情だ。それで商売をしたりするつもりなんざ毛頭ない。

12/25/2016

画像も記憶も巻き戻す。ブロガーとして2016年にしたことと、2017年にすることのまとめ。 #cerezo #photo #diary

2016年にブログを書いていて感じたこと「即時性」



2003年か4年か、その頃からブログを書いている。その当時に比べて、人が随分せっかちになった気がする。

Twitterでも、LINEでもそうだ。「今」何が起こってるのか知りたいという欲求が強く現れた一年だった。

12/12/2016

来季が始まったけど、まだ心は今季のままだ。 #cerezo #fagiano #photo #diary


週末の大阪は徳島の藍染のような鮮やかな青空で、キリリと冷えた空気が満ちていた。ああ、冬が始まったのだとコートに包んだ身を縮こまらせた。

長居公園にはジョギングする人や体操する人、ダンスの練習をする人、いろいろな人がいて、皆穏やかに休日のひとときを楽しんでいる様子だった。小腹が空いたのでヤンマースタジアム長居の南側にあるカフェ「M's stand」さんで大好きなフィッシュサンドを頬張っていた。

一週間前、たった7日前に俺たちは、ここで未来を懸けた戦いをしたのだ。肌を刺す氷雨の中、自分自身もカメラもレインコートを着て、ガチガチと震えながら選手とボールを追っていた。それがまるでウソみたいに、静かだった。

12/07/2016

玉田圭司、中澤聡太、北野貴之の契約満了に思うこと。 #cerezo #セレッソ #セレッソ大阪


この季節は嫌だなって、焼き鳥屋さんでつぶやいていた。

そうだな、楽しいことはないよな。毎年イヤなんだよこの時期。そうやって同意した。


12/05/2016

2016J1昇格プレーオフ 決勝 C大阪 1 vs 0 岡山 晴れの国、雨の夜、決戦の時。 #cerezo #fagiano #セレッソ #ファジアーノ #photo #diary


この試合にはいくつもの「見かた」があって、それぞれに正しい。「ケンペスへの弔い」と考えたり「3年ぶりのJ1へ、捲土重来の一戦」と考えたり「4-4-2対3-4-2-1、ミスマッチをどう戦い抜いたか」と考えたり。

それぞれに意味があるし、キッチリ残していかなきゃいけない要素だ。今日は、いつものように、試合を試合として、純粋なスポーツとして観ていこう。

J1昇格!! ありがとう、ただいま。 #cerezo #photo #diary





















試合が終わる笛を、豪雨の中で聞いた。嗚咽が止まらなかった。

カメラで一所懸命に選手を追う、瞬間を切り取る。そういうことに執心しようと思ったけど、難しいね。がんばったつもりだよ、一応。

でも、目が霞んで、よく見えなかった。


とりあえず、ただいま。

12/01/2016

Arigato Everton KEMPES Dos Santos Goncalves. I pray for you. #ForçaChape

すプレーオフのチケット争奪戦、まるでノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチみたいだった。仕事も忙しかった。やっと「彼」について書く時間が出来たよ。

待たせてゴメン、Everton KEMPES Dos Santos Goncalves


彼がセレッソにやってきたのは2012年、柿谷曜一朗が徳島から復帰したその年だった。

その当時からセレッソは攻撃的なチームだったのだけれど、第一期レヴィ・クルピ政権が終わり、ちょうど転換期に移ろうとしていた。監督には若く野心的なブラジル人、セルジオ・ソアレスが就任した。


この前年までに香川真司、乾貴士という足元に強いタレントが海外移籍し、チームの核になっていたのは清武弘嗣だった。この攻撃陣に高さというファクターを加えるべく来日したのがケンペスだった。

その効果はさっそくホーム開幕戦、長居スタジアムにガンバを迎えての大阪ダービーで表れた。後半ロスタイム、右サイドでしぶとく粘ってクロスを上げる。そこに待ち受けていたのがケンペス。豪快なヘディングで劇的な決勝ゴールを決めた彼は、子供みたいに無邪気な笑顔でゴール裏にかけていった。鮮烈なホームデビューだった。


けれど、ここから苦労が始まった。スキル不足なのか、それとも運がなかったのか、彼のシュートはそのいちいちが「惜しい」の連続だった。ポストやバーを叩いたのは一度や二度ではない。

そのこぼれ球に反応したのが、同じく長居でのダービーから戦列に加わった柿谷だった。先だってのプレーオフ第一戦、京都戦でもソウザのシュートのこぼれ球にいち早く反応していたけど、あの嗅覚というか、貪欲さ、抜け目のなさのようなものを形作ったのは、ケンペスのシュートのおかげのように思う。高さとうまさ、彼らはお互いの足りない部分を補い合うようにプレーしていた。


ケンペスのゴール数は決して満足のいくものではなかった。けれど、ブラジル人らしからぬ献身性と、ブラジル人らしい陽気さ、そして穏やかで人懐っこい性格は、サポーターの誰彼からも愛された。

結局、彼とともに戦えたのは2012年だけだったけれど、その後も千葉でプレーし、J2の得点王にも輝くなど、日本のサッカーにも順応していた。ブラジルでも経験を生かし、よくよく頑張っていたようだ。facebookでは彼の奥さんと友人になったけれど、毎日のように彼の笑顔を見ることができた。幸せだった。


ここまで書き進めて、思う。彼には何も、罪はない。罰を受けるようないわれがない。どうして、34歳という若さで、人生を終えなければならなかったのか。愛する奥さん、大切なお子さん、大好きなチーム、大好きなサッカーとお別れしなきゃいけなかったのか。そんな人生って、あっていいのかって。

次の試合、プレーオフ決勝は絶対に勝たなきゃいけない。葬いだとか慰めだとかではなくて、彼の記憶は俺たちの中にしっかりと生きているんだってメッセージになるから。2万人の歓喜の中に、彼の魂がしっかりとあるのだという証になるから。天国ってのはそんなに近くにはないだろう。余程の大騒ぎをしてやらなきゃ、彼の耳に届くのか不安で仕方がないんだよ。


彼が亡くなったって聞いたその日、終電間際の御堂筋線に乗って長居に帰ってきた。ちょっと遠回りをして、ヤンマースタジアム長居まで行き、少しだけ泣いた。お寺や神社では筋違いだし、教会も近くにはないし、彼のために泣くことができる場所はそこぐらいしかなかったんだ。

ここに住んで二度目の冬になるけど、長居という地名を聞くのが辛かったのは、この日が初めてだった。もう、こんな想いはたくさんだ。


大好きなケンペス、辛い旅はもう終わった。好きなミニギターを弾いて、貴方を愛してくれた家族やチームメイト達を見守っていておくれ。ゆっくりと、また、子供みたいに笑いながら。