12/08/2015

僕とマグノと、時々セレッソ。 #cerezo #photo #diary @MAGNOC18

12月5日13時30分。


俺は舞洲にあるセレッソ大阪の練習場にいた。今年のセレッソをとことん追いかけよう、手助けできるならしようと決めて1年、今年のチームとしての全体練習はこの日が最後だった。


サポーターの有志が選手個人の幕、チームの幕を持ち寄ってグラウンドの柵を飾り、選手に特別な一戦なのだと伝えようとしていた。俺は幕は持っていなかったけれど、この様子を伝えることで、次の日の試合、J1昇格プレーオフ決勝、対福岡戦に向かうサポーターたちの心に特別な何かを贈れるのではないかと考えた。それで、カメラ2台とレンズ3本に三脚まで持ち出して足を伸ばした。


練習は福岡のストロングポイントをいかに打ち消すかに焦点が絞られていた。ウエリントン対策を何度も確認し、セットプレーもあらゆる角度、あらゆるシチュエーションを復習していた。それはもう、これ以上無いほど繰り返し。


大熊清監督代行の声はデカくてスタンドからでもよく聞こえた。言葉の細かなところがよく分からないパブロやマグノ、エジミウソンにはガンジーさんが翻訳していたし、橋本英郎も周りの選手に身振り手振りで微修正を加えていた。この時点で打てる手はほぼ打っていたと思う。


選手がグラウンドに出てくる時帰る時、俺は必ずパブロとマグノと握手をした。ふたりとも「ガンバッテ」や「アリガトウ」くらいは分かったし、英語のレベルは話す方も聞く方も同じようなレベルだから、なんとか意思疎通ができた。こういう時、俺は自身の馴れ馴れしさと厚かましさに感謝する。おかげでケンカした人もいるけれど、知り合いになれた人も多い。

俺は二人と強く握手をして、何度も「ラストワン、ガンバッテ」と胸を叩くジェスチャーをした。伝わったかどうか分からないし、それで試合がどうなるわけでもない、自己満足だと思うけれど、やらずにはおられなかった。選手も同じ気持だったんだろう、スタメン、ベンチ入りメンバーがバスに乗り込んでから、メンバー外の選手達がバスに向かって何事か語りかけていた。

その日は他の多くのサポーターと同じように、遅くまで眠れなかった。


12月6日7時0分。


ちょうどの時間に起床して、パリーネの焼きたてパンを食べる。それからセレッソ関連のニュースを見てスタジアムに向かう。


と言っても徒歩10分ほどだから散歩みたいなもの、カメラを持ってこの試合の全てを残してやろうとうろつき回った。


歓喜になるか悲劇になるか分からないけど、忘れてはいけない日になることは確かだった。スタジアムの外は何周もしたし、スタジアムに入ってからはゴール裏、バックスタンド、最前列、最上段、歩けるところはくまなく歩いて、写真や動画を撮って回った。


結果は悲劇だった。セレッソは2000年5月27日や2005年12月3日と同じ轍を踏んでしまった。大熊強化部長が監督を兼務して3試合、ベテラン中心に切り替え、チームの成熟度の無さを選手個々の経験で埋め合わそうとした。ここまではうまくいったけれど、ギリギリで急ごしらえのチームであることを露呈した形になった。後半リードしてから中盤が下がって守備ラインに吸収され、ボールをカットされてからのスピードに太刀打ちできなかった。



ある選手は口を真一文字に閉じて塞ぎこみ、ある選手は号泣し、北野貴之のようなベテランやキットマン、スタッフがそれを慰めていた。俺は涙が少し出て、でも泣いちゃいけないなと思い返してガマンしようと思い立った。

帰りのコンコースでは見知ったサポーターに何人も会った。ある人ははばからずに泣きはらし、ある人は黙々とコレオグラフィの後片付けをして感情を消していた。ケンカやいさかいが起きなかったことはよいことだった、裏返せば、その気力さえも削ぎ落とすようなショックだったという証明とも言えるけれど。


家に着いて座り込み、カメラのカードを抜いてパソコンに取り込む。勝った時は至福の瞬間、負けた時は苦役。けれど俺には、こうして写真や文章を残して、世界中にいる今ともに歩んでいる人に勇気や喜び、悲しみを伝えること、後に続く人達が回り道しないようにすること、それ以外に出来るサポート方法が無い。だから、必死に声を枯らしたサポーター、高いお金を払ってチームの売り上げに貢献したサポーター、遠くから勝利を信じてくれたサポーターに報いるために気力を振り絞った。

そんな時に携帯が鳴った。パブロとマグノがメッセージをくれていた。つたない英語でSorryと何度も書き込まれていた。俺は神様に許しを請うて、深呼吸して、それから、思い切り泣いた。


12月7日8時10分。

朝になって目覚め、立ち上がろうとして二度失敗した。腰が抜けたように力が入らず、立っても平衡感覚が狂ってフラフラとへたり込む。なんだかおかしくて苦笑いした。試合を見ただけで立てなくなるとは本当に馬鹿だなと自分を笑った。

出勤途中の電車でパブロとマグノ、エジミウソンの帰国が近いことを知った。今日の夜にはパブロが、明日の朝にはマグノとエジミウソンがブラジルに帰る。また来るかどうかは、分からない。

俺は上長に「友人が遠くの故郷に帰るからこの時間には会社にいません。」と伝えて、両方とも行くことにした。その分、今日はいいクオリティの成果物を残した。時々試合のことを思い出して泣いたけれど、そこはキッチリやり切った。


来年の最終節を俺や他のサポーターは笑って迎えられるんだろうか、そうぼんやりと考える。またダメなのかもしれないなとうつむいた時は、舞洲で撮ったリハビリ組やユース組の写真を見るようにした。秋山大地や沖野将基、前川大河、米澤令衣、たくさんの才能がケガやレンタル移籍でチームを離れていた。来年は彼らが復帰し、心身ともに成長した姿を観せてくれるはずだ。

10年後の最終節はどうなんだろうと考える。その時はスタンドで撮ったかわいいセレ女(年齢的に、ね。)や子供たちの写真を見るようにした。彼らが06の若い子たちのように成長し、何れの日かトラメガや太鼓を持ち、あちこちを遠征して選手を支えてくれるはずだ。


不幸は何度も続かない、長居の悲劇も5年に一度くらいだ、そんなもんだったらなんとか大丈夫さ。いつか、歓喜だって来るだろう。だからそれまであきらめるものか、きっとその瞬間を撮ってやるんだ。

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