11/19/2015

長崎で感じたこと、アウトゥオリの限界。 #cerezo #vvaren #photo #diary #nagasaki #長崎



V・ファーレン長崎のホームスタジアム、長崎県立相互運動公園陸上競技場は、それは美しいスタジアムだった。立地は悪いけれど、バス一本で最寄り駅まで行けるし、駐車場もそこそこある、屋根は観客席のほぼ全てを覆っていて、前から2列目でカメラを構えても水滴がカメラにかかることは殆ど無かった。規模の小さな味の素スタジアムのような感じかな。

長崎サポーターのノリもまた独特で、「おっしゃー!いかんね!」「よかよか!」と訛り丸出しの言葉で選手を後押しする。故郷の訛り懐かし~を体験するのは上野駅ではなく土地土地のスタジアム、アウェイスタンドだ。


「J1にいた」セレッソ大阪相手に2-0で勝利となれば、祝いの酒もおいしかったろう。長崎は辛い時も飲み、嬉しい時も飲む。長崎高島生まれの親父がそうだった。親父だけだろうと思ったら親戚一同そうだった。親父の葬式の時葬儀場のビールをバカみたいに飲んで、とんでもない額を請求されたのは忘れたい思い出だ。


最低の誕生日プレゼントをつきつけられた俺は、最寄りの諫早駅に行くバスの中でどうブログの記事を書こうか考え込んでいた。戦術がいけないのか、選手が動かないのが原因なのか、そもそもピッチ上に起きている事象だけでセレッソがここまで弱くなったのか、まるで分からなかった。

ただひとつ言えるのは、金沢、長崎とアウェイ2連戦を3-0、2-0という酷い結果で終えたチームを、このままにしていたらダメだということだけだった。何か変化が必要で、でもそれがなんなのかは整理がつかず、そういうもやもやを抱えたまま思案橋にたどり着いた。


雲龍亭という餃子のうまい店があるというので、そこでスープ餃子とハイボール、レバーの焼き物を頼んで一心不乱に食べる。そうしてそこそこにうまいものを咀嚼しながら、自分なりに考えていた。

セレッソが採用している4-1-2-3や、相手のブロックを崩すために攻撃に幅と奥行きを持たせるというコンセプトは理にかなっている、そこまでは分かる。でも、そのやり方を実行できる選手が揃っているのか、その戦術が徹底されているのかは疑問だった。監督と選手の意識の乖離は、日増しに悪くなっていくばかりだった。


だから、その二日後にニッカンスポーツがパウロ・アウトゥオリの退任をすっぱ抜いた時も、半分は「本気か?」で、もう半分は「仕方がないだろうな。」という感覚だった。

選手が出来ることはおよそやっていた。茂庭照幸は金沢に点を奪われた時「これからだよ!」と必死にチームを鼓舞していた、中澤聡太も玉田圭司も、それぞれに必死だった。若手にその覇気が感じられなかたのは悲しいことだけれど、絶望するようなチーム状態ではないと、今でも言える。それでも勝てないのなら、現場のトップがどうかするしかなかった。


日曜日の舞洲では、選手に向けて段幕を掲示したり、激励をするようだ。そういう気持ち一つ一つが選手達の気持ちを高めていくはずだから、時間がある人は行ってほしい。そう思わないとサポーターなんてやってられないしね。

ああ、もうリーグ戦は最終節だ、プレーオフも含めても270分しかない、そろそろ全力で駆け抜けても息切れはしないはずさ。ただ、ゴールだけを目指して行こう。切れるカードは全て切った、本当に応援くらいしかすることがないんだ。

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