9/30/2015

俺にとっての「西の魔女」。 #photo #diary

今年の1月、俺は魔女のもとで過ごしていた。いろんなことがあって、生きていくのが苦しくなって、魔女の住む、寒くて静かな町に転がり込んだのだ。


俺にとっての「魔女」は母方の叔母のことだ。年寄りなのにファンキーで、ロックで、掟は守ってもルールは守らない、つまり、いい人だ。


1月の間は毎日のように冷たい空気を吸い込んで、魔女とふたりで散歩をした。そうして、その間は現在のこと、過去のこと、生き方のこと、仕舞いのこと、いろいろなことを話していた。でも、仕舞いなんてまだまだ先だよなって笑ってた。

だから、9月の終わりにこんな風に別れが来ることは、驚きと、悲しみの中で聞いた。自分の中でどう解釈していけばいいのかよく分からなかった。


無事に空に送り出せた今は、ようやく何とか腑に落ちるようになってきた。人と同じようにへたり込んで、弱って、細々とステージを去ることがガマンならなかったのだろう。魔女らしく、派手派手しい魔法をかけて、皆の心に居場所が作りたかったのだ、きっと。さすが魔女の術は効く。少なからずの人の中に、自分の居場所を作っていったよ。


舞洲にも一度だけ連れて行ったことがある、やはり今年の1月、チームが始動してすぐの頃だ。山下達也の肉体美が好きだといい、見学用のスタンドから「山下いいぞー!脱いでくれー!!」と絶叫するのを赤面して止めた。俺も大概だけれど、魔女はその上を行く。


パブロやパブロのお父さんのこともすぐに好きになった。若くても人と分け隔てなく笑顔で接するのがいいと言っていた、魔女も男前には弱かったみたいだ。


できればスタジアムにも連れて行きたかった、魔女の体調と、セレッソの調子がもう少し安定していたらな。もう、いつのどの試合でも見に来てこられるから、それもいいか。


叔母のために少なからずの人が哀悼の意を示してくれたことは、甥っ子としてありがたく思う。あまり孝行は出来なかったけれど、精々長生きして墓守りをするよ。セレッソがタイトルをとったら、その写真も送る。だから、それまでは大好きな忌野清志郎の生演奏でも聞きながら、ゆっくりと過ごしていてな。


お疲れ様、おやすみなさい。

9/28/2015

明治安田生命J2リーグ第33節 徳島 1vs1 C大阪 必然の引き分け。 #cerezo #photo #diary

前半、アレだけ左サイドを攻略されて、無失点に抑えられた。そして、僅かなチャンスから先制点を、それも前半最後のプレーで奪えた。これ以上の幸運はないと喜んだけれど、セレッソとパウロ・アウトゥオリはその幸運を自ら手放してしまった。少なくとも、試合を生で観た人間にはそう見えた。



スターターは前節と変わらず。キーパー丹野健太、ディフェンス酒本憲幸、山下達也、染谷裕太、丸橋祐介、ミッドフィールダー関口訓充、山口蛍、扇原貴宏、パブロ、トップにエジミウソンと田代有三。控えには楠神順平が戻り、攻撃の切り札が厚みを増した。


しかし、小林監督のサッカーは相変わらず胃の痛い、キリキリするようなのばかりだな。それぞれにシンプルなタスクを与えて迷いを消し、引いて守ってカウンター。2005年から変わっていない。

徳島のストロングポイントは右サイドで、サイドバックと10番、ボランチの一枚がトライアングルを作って小気味好くパス交換を仕掛けてくる。そこの対処を丸橋一枚でしなくてはいけないシーンが散見され、幸先に不安を残した。



セレッソの活きる場所は中盤で、パブロも関口もキレがよかった、加えて山口蛍も代表で見せるポテンシャルをそのまま鳴門まで持ってきてくれた。扇原の動きに多少の不安があったけれども、致命的ではなかった。

双方が得手にする攻めでゴールを脅かすが、決定機の数は徳島に分があったように感じる。シンプルに、できる事だけをシッカリやるサッカーは、派手さはないが確実に勝ち点を残す。



そういう小林サッカーが炸裂している時に、パブロが飛び出しから技ありのループを決めてくれたのは、重ね重ねになるが本当に大きかった。ギリギリのところで一点をとり、試合を得手に進める小林サッカーにとって、先取点を奪われる事は大ダメージだからだ。

ところが、そのアドバンテージをセレッソはみすみす手放してしまう。後半開始から酒本を下げ、中澤聡太をピッチに送り込む。染谷を右サイドで守備的に使うのかと思ったら、3-4-1-2にシステム変更をしたのだ。



図示すれば分かる。4-4-2ではサイドに二枚配置できるが、3-4-1-2では一枚しか配置できない。

もうひとつ、酒本という正確なパス出しができる選手を下げて、センターバックで相手の攻撃を寸断する事を専らとする中澤を入れた。

止めに、いいハーモニーを奏でていた関口とパブロの距離感が遠くなって、連携どころではなくなった。


結果として、攻撃は停滞し、守備でも前半にも増してサイド攻撃にやられるシーンが増えた。サイドでスピードにのったアタッカーを、決して快速ではないセンターバックが捕まえるのはかなり難しい。またその時にはマークの受け渡しを自陣ゴール前という際でしなくてはならなくなって、非常にリスキーだ。結果として、セレッソの両サイドハーフ、丸橋と関口の負担が増えるようになった。


これでまだ前線にボールを収める存在がいれば救われるのだけど、田代が橋本に代わって下がり、攻めの交代は楠神順平のみ、窒息感ばかりが増える事になった。


確かにエジミウソンはこれまで二試合で3ゴールに絡む活躍をしている。けれど広大なピッチを動き回る事も、空中戦で競り勝つ事もできないストライカータイプをフルタイムで使ってもチャンスは少ない。少なくともこの試合ではそうだった。

パウロ・アウトゥオリは楠神を呼ぶ前に試合を潰しにかかって、中澤と橋本をピッチに送り込んでいた、確かにそうだ。彼はそれで勝ちきれると踏んでいた、これだけ不安定な守備を見ていかながら、だ。それでセットプレーで1-1になると、慌てて楠神を呼び出したのだ。指揮官がダッチロールすれば、選手のメンタルも揺れ動く。この時点で勝利の確率は限りなくゼロに近くなってしまった。


なぜそこまでエジミウソンにこだわるのか、なぜまだ最少得点差で、不安定な流れの中から試合を潰しにかかったのか、分からない。本当に不可解だった。

焦ってチグハグな攻撃に終始するセレッソ。シンプルにできる事だけを仕掛けてくる徳島。目標とするサッカーのクオリティはセレッソの方が高いはずだが、終盤で主導権を握ったのは徳島だった。試合終了のホイッスルを聞いた時、無念さと、腹立たしさと、安堵と、色んな思いがドッサリと落ちてきて、自分自身をコントロールするのに難儀した。


これで二位磐田まで勝ち点差5。試合数を超える勝ち点差は逆転できないと言われているが、残り8試合でこの勝ち点差を引っ繰り返せるだろうか?

今日の試合は、観る者を不安にさせる要素ばかりがふんだんに盛り込まれていた。とても「大丈夫」と胸を張れるものではなかった。悪い流れをどうやってひっくり返すのか、一週間見守るしかないか…。

9/26/2015

応援のこと、人の心のこと、ガッチャマンから思いついた。(ネタバレ注意) #cerezo #photo #diary

久しぶりにアニメを、自分から観ようと思った、ガッチャマンクラウズというシリーズ物だ。ガッチャマンと名乗ってはいるが、もともとのガッチャマンの要素は薄く、登場人物も今風だ(公務員しているヤツまでいる)。ただし、悪を倒し、世のため人のために密かに活動している点は前作と類似している。


俺が面白いなと感じたのは、第一期、第二期ともに根本の敵が「人間の心」にあるというところ。それぞれベルク・カッツェ(なぜか長身痩躯の変わり者になってる)とゲルサドラというハッキリとした敵はいる。ただ、それらを物理的に排除しても、ガッチャマンが求めている平和は訪れない。


例えばベルク・カッツェは心の弱い人を嗅ぎ分け、自分の力の一部を与える。すると人間は日頃鬱屈していた思いを爆発させて騒乱が起きる。人が力を与えられることを拒んだり、力をコントロールすれば問題にならない。だが人間はそれを使いたくてしょうがない、暴走したくてしょうがない。

結局、力を与えられた人間は暴走し、東京が壊滅状態になってしまう。ベルク・カッツェは直接的には何の関与もしていない、人間は人間の心によって危機に瀕していく。


ゲルサドラも紆余曲折の末日本の総理大臣となる。そして人の心を取り込み、彼らが望む政治を推し進める。国会議員制度の廃止、全ての法案の議決は国民がスマホで直接に、瞬時に行う、総理の給与は生活費のみ、など一見聞こえがいい制度を次々と導入していく。

しかしこれにも限界があり、人は法案を吟味することに飽きたり疲れたりし始める。ゲルサドラはあくまで彼らのために「善意」で、法案の「イエス」「ノー」の他に「サドラにお任せ」ボタンを追加する。

結果として人は考えること、自分なりの意見を言うことをやめてしまい、即物的な「サル」へと退行してしまう。


この台本を書いた人は、およそネット掲示板、SNSというものをよく調べたのだと思う。ベルク・カッツェは大混乱が起こった時「この騒動がいつまで続くのか」と問いかけられ「満足するまでにきまってますやーん!」とせせら笑う。

失礼なようだけど、現実もおよそそうだ。人を叩きたくて仕方がない、問題があるやつを打ちのめしたい、でもそういう人はおよそ「倒した後の未来」なんて描いてはいない。倒したい、鼻を明かしたいだけだからそのように行動する。

ガッチャマンクラウズの世界では、究極まで行き着いた果てに、人の心の明るい部分を利用して世界の崩壊を押しとどめる。ベルク・カッツェは殺されず、主人公と同体になる。それがベストの解決なのだと思う。ゲルサドラ編は最終話が残っていて、どう風呂敷がしまわれるかというところ。

現実でも、ネットでポコポコ話しているだけだと、世界は動かないし変わらない。誰かが憎いとかおかしいとか言い出すと整理がつかなくなる。誰かが「ここまで!」と線引しなければ誰かが押しつぶされた未来しか出来ない。残念ながらそうだ。


さてさて、やっと書きたいことが書ける。

俺みたいな、ルール破りまくりでいろんなもの食べまくりの、誰から見たって悪という人間はもう規格外として(笑)、どこの応援グループがいいとか悪いとか、あれは無い、これをやれ、的な議論は、部外者から見ると異質だ。チームが一丸にならないと勝てないのに、スタンドがバラバラに動いててどうなるんだろう?


理想はあくまで理想だから、そこにたどり着くのは難しいとして、最低限みんなが共有している「セレッソを勝たせたい」という思いをもう一度思い起こして欲しい。セブンイレブンシートからでも応援の声はよく聞こえた、選手に届いていないわけがない。だからこそひとつになり、より鋭角になり、ちゃんと選手を後押しできる応援が聞きたい。

応援グループには知り合いがたくさんいる、全員が強い意志を持って応援している、だからこそぶつかり合うのは理解が出来る。そこから先、異質なものを受け入れる、いろんなものを取り込む、そういう感覚を少しでも持ってもらえるとうれしいかな。応援という力を悪用するでも、それぞれの目上に従うだけの存在になるのでもなく、それぞれが考え機能するゴール裏は、きっと強いよ。

9/24/2015

明治安田生命J2リーグ第32節 C大阪 2vs2 水戸 ピッチ上の混乱。 #cerezo #photo #diary

病み上がりそこそこの人間に、文章を期待するのは勘弁してほしい。


写真は、いいものが撮れたとは感じてる(セレッソの選手が勝利の歓喜に酔う姿が一番撮りたかったけど)。やっぱり、サッカー撮影は場所取り八分くらいだ。

高いレンズを買うのなら、そこそこのレンズを買って、いいチケットを何枚か購入したほうがいい。


この試合の収穫はエジミウソンかな、二試合連続ゴール、まだ動きに鈍重さを感じるけれど、守備のプレッシングだったり、そういうこまごました動きも少しずつよくはなって来ている。

戦犯は…言いたくは無いけどアウトゥオリと、ピッチにいた全員ということになる。

先制されてから手持ちのカード、田中裕介、吉野峻光、マグノクルスを早目早目に出していった。これが功を奏し、逆転に成功する。





問題はその後だ。

交代カードを切られないから、ピッチ上の人間をどう配置して、どう動かすのか、その意識が薄くなってしまった。

あくまで今まで通り前から追い込んでいって仕留めるのか、誰かを守備ラインに入れて擬似的に5-4-1を作るのか、誰も何も動こうとしない。



水戸のゴールは二本とも素晴らしいものではあったけれど、防ぐ手立ては多分にあった。だから、一日経った今も腹立たしさが、わずかばかりワインのオリのように残っている。

これは、徳島まで行くしかないか。

9/20/2015

勝つ準備はできているのか? #cerezo #photo #diary

病床というと、大げさだな。風邪ひいてぶっ倒れて、布団に包まってる。いろんな事情があって熊谷には行けない。


未確認の情報だけれど、大宮は家長昭博が強行出場、ムルジャとともに攻撃の核になる様子だ。余裕矍鑠(かくしゃく)首位を走っているのだから、ゆっくり休んでくれててもいいものだけれど。


セレッソでは玉田圭司が肉離れという話がある。こちらも未確認だけれど、もしそうだとしたらかなり危機的な状況といえる。

もともと、パウロ・アウトゥオリは交代が遅めで、あと10分でも早ければなと感じることが多い。


スターターは田代有三とエジミウソンになるだろうが、これだと後ろの8枚の守備負担が大きい。早めに楠神順平のような動きのある選手とスイッチしたいけれど、さあ、どうか。

ここに勝てれば本当に大きい。それだけに、悔いの残らない一戦にしたいんだ。なのに、試合前からこれだけマイナス要素があるとなると、厳しいな。

大宮戦の写真は、期待しないでね。 #cerezo #photo #diary

写真というものが無かったら、俺の人生って今よりもずっとずっと下らないものになっていたと思う。確かにカメラやレンズ、カメラバッグやSDカードは高価で、多分、100万円くらいは使ってる。カメラ4台、レンズ8本、カメラバッグ2つ、SDカード5枚、コンパクトフラッシュ1枚、バッテリー6個、フィルターが8枚にそれらの修理代、われながらアホかと思う。


それでも、必死こいて残した試合の写真、日々の生活を切り取った写真は、その作品的な出来栄えを抜きにしてもいいものだ。

動画も魅力的だけれど、一枚で、一瞬で、直感的に、人の神経に刺激を与える写真というものはやっぱりいい。


ただし、今度の大宮遠征の撮影では、すでに暗澹たる気持ちが頭のなかを渦巻いている。

本来、大宮のホームはサッカー専用でピッチとスタンドがほど近いNACK5スタジアムだ。けれど、年に一試合だけ、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でホームゲームを開催する。

なんの罰ゲームかしらないけれど、大宮よりももっと遠くて、不便で、見辛いスタジアムで試合をするということ。

そうして、大宮はホームとアウェイを厳しく分離している。セレッソだとたまにアウェイのお客様がホーム寄りのスタンドにいて、それが許されている空気があるが、大宮は(おそらく浦和との関係から)その辺りはキッチリしている。

今のところ、アウェイのサポーターに与えらた選択肢は陸上競技場のトラックの、そのまた向こうにあるゴール裏。もしくはそれより僅かにホームスタンド寄りというだけでチケットの値段がガンガンに上がるアウェイホーム席ということになる。


Google Mapなんかでスタジアムを見て、ピッチとの距離や指定席の位置などを確認してみたところで、本当にイヤな気持ちになった。この距離、この角度、この時間帯でいい写真を撮るのはほぼ無理だ。

よく、「どうやったらサッカーをうまく撮れますか?機材がよければキレイなんですよね?」という人がいるがそうではない。持論だけど、サッカーを撮るのに重要なのは場所取り、これが7割で機材が3割くらいだ。20万円出して望遠レンズを買うのなら、5000円出していい席をとったほうが確実にシャッターチャンスは多い。


熊谷で、もしいい写真が撮れるとしたら、後半にセレッソが得点を決め、選手たちがスタンドに向かって駆けていく、その瞬間だけだろうと思う。


旧知の大宮サポーターと、また飾らない飲み屋で杯を交わすため、また、一瞬のチャンスに賭けるため、俺は5キロくらいの装備を抱えて往復19時間のバスの旅をする。本当に阿呆としか思えない。

それでも、写真の神様は優しくしてくれると信じるよ、それしかない。日本人(特に女性)には嫌われてばかりだけれど、ブラジル人、ベトナム人、中国人、イタリア人、どこの外国人と仲良くなるのは得意で、写真の神様とはもっといい関係を作れている、はず。

帰りのバスの中で、ワクワクしながらパソコンをいじれてると願う。いい写真を送れると、ウキウキしていたいな。


9/14/2015

明治安田生命J2リーグ第31節 C大阪 4vs1 栃木 アウトゥオリの長 所。 #cerezo #photo #diary

パウロ・アウトゥオリの采配は、トータルで見るとあまり好きなものではない。けれど昨日の試合に限ってはアウトゥオリの得手にしている部分がちゃんと出ていたかと思う。


スターターは、キーパー丹野研太、DF右から酒本憲幸、山下達也、染谷悠太、丸橋祐介、MFは右から関口訓充、山口蛍、扇原貴宏、パブロ、前線は玉田圭司と田代有三。


控えのメンバーはかなり動きがあって、サイドバックの控えが田中裕介、センターバックは茂庭照幸が怪我のため中澤聡太、エジミウソンはベンチスタート。


栃木がやりたいことはなんとなく理解できた。自陣中央を堅く絞ってガマンをする、攻撃には手数をかけずシンプルに速攻。力関係がはっきりしている相手に対しての基本みたいなやり方だった。

唯一違っていたのはラインに対する意識だ。引きこもるのではなく、ある程度前の方でシッカリ攻撃陣を足止めさせようという狙いがあったのだろう、全体的にやや高めだった。


セレッソは、これはアウトゥオリがずっとやっていることなのだけれど、サイドからの攻めの意識が強い。おおよその相手が選手間を狭くとり、引きこもるのが分かっているから、それを崩す方法を練習から終始徹底している。

選手が密な中央に関してはワンタッチなど少ない手数でボールをはなす。そこから両サイドへ出来る限りワイドに、素早く展開して相手の陣形を振り回す。これをシーズン初めから続けている。

例えば、右のセンターバックである山下から左サイドの丸橋にボールを渡すにしても、途中で染谷を経由せず、直接丸橋に渡すことをベストと考えている。生まれる時間は僅かでも、続けざまにやっていくと積もり積もって大きな差になる。


栃木のラインの高さも、ボールを保持できる田代と、そこから展開できる玉田のコンビにとってはやりやすかったのではないだろうか。田代はウラへの飛び出しもなかなかにうまくて(あと、ハンドに見せないテクニックも)、栃木を苦しめ続けていた。玉田も久々の試合で2ゴールと結果を残した。


中盤が関口、山口、扇原、パブロとベストメンバーだったのも大きいと思う。ミドルシュートが苦手でも、縦一発のパス、サイドへの展開、そこからのスピードに乗った攻め、そういう引き出しはタップリとある。パブロもシーズン当初のように不慣れなポストプレー役ではなく、最も得意な攻撃のコンダクター役を生き生きとこなしている。ここまで練磨されていれば強い。


点差は妥当なものだったと思う。中に絞りたい、前で捕まえたい栃木と、ワイドに広がらせたい、ウラも狙えるセレッソでは、栃木にとって相性が悪すぎる。前回の対戦も含めると実に7-1だ。

これがゴール前に引きこもって愚直にカウンターとセットプレーだけに賭けるチームならまた違うのだろうけれど。重ね重ね、セレッソにはいいミドルシュートを持っている選手が少ないから。


さて、これで9/20の大宮戦が面白くなった。大宮にすれば負けようが痛くも痒くもない試合だけれど、セレッソは、勝てば磐田や東京Vといった順位表で上下のチームに相当の圧力をかけられる。このモチベーションの差が結果に結びつけられれば幸いなのだけれど。

9/12/2015

栃木も茨城も、仲間だ。 #cerezo #tochigifc #mito #hollyhock #jleague #j_toku #photo #diary

大雨だっていったって、治水がこんなに発達している日本で、あんな災害が起こるなんて思いもしなかった。


茨城には今年行ったばかりだし、栃木にも知り合いがいる。それでなくても同じ日本人で、同じ人間で、苦しんでいる人間が身近にいるのだから、助けないほうがおかしいだろ?

もちろん、勝ち点はやらない、ひとつも持って帰らせない。その代わりモノであったり気持ちであったり、他のものはたらふく持ち帰ってもらう。試合に来られる栃木サポーターはまだ来られるだけマシなんだと思うけれど、大なり小なり肝を冷やしただろうし、知り合いに被災をした人がいるかもしれないし。


少し話を変える。俺が一番、「セレッソのサポーターやっててよかった」と思った時というのは、実は試合を観ている時でも、セレ女引っ掛けて遊んでる時でもない(セレ女のみんなゴメンね)。2011年、住吉区民センターで行われたサポコンでの、サポーターのご婦人と当時の藤田社長とのやり取りを見た時なんだ。

その時はちょうど、大宮に所属していた(今はアンバサダーをしている)塚本泰史さんが右大腿骨骨肉腫に罹患していると発表した直後だった。おまけに開幕戦の相手はその大宮だった。

それで、サポコンがつつがなく進み、最後の質疑応答に入った時、ご婦人が藤田社長に直訴したんだ。塚本選手のために募金はできないのかと。

藤田社長は壇上ですぐに社員に「いけるか?できるか?」と確認をとり、サポーターが区民センターを出る時に募金ができるよう支度をし始めた。サポコンが終わるまで15分くらいだったと思う。出入り口にはダンボールをカッターで切って貼りあわせただけの粗末な募金箱が用意されていて、皆が当たり前のようにお金を入れていった。


俺個人でも2年間招待券を集めて大阪市に寄付する活動をしていたし、今でも別団体がボスニア・ヘルツェゴヴィナの子供たちにサッカーボールを送る慈善活動を行っている。そうして感じることはセレッソサポーターの温かみなんだ。

当然、馬鹿や阿呆も一定数いる。でもそいつらくらいどうでもいいやって思うくらい、いい人もたくさんいる。こういう時にサポーターの優しさに心を揺さぶられるんだ。


さあ、話を戻そう。今週末にもクラブから何かアクションがあると信じているし、もしそうなら参加をしたい。俺みたいなどうしようもない無頼でも、少しくらいの思いやりはあるのさ。まして俺を避難批判するような聖人君子の皆々様であるならば、もっと素晴らしい慈善を行ってくれると信じているよ。俺に負けたら俺以下だぞ!頑張れよ!(笑)