4/17/2015

報いは誰の上にも降る。 #photo #diary

禍福はあざなえる縄の如し、今までそんなものかなと考えながら生きてきた。

いいことがあれば悪いことがあり、いいことをすればいいことが起こり。それから、悪いことの後にはいいことが待っていて、悪いことをすればしっぺ返しが来る。



2014年の夏から秋にかけては、およそキリギリスのように遊んでいた。それでも生きていく糧は多分にあり、楽しみを共有できる存在がいて、セレッソがどん底である以外はおよそ快適だった。そのセレッソがどん底なおかげで、気分は晴れてはいなかったけれど。



そのぶり返しが今になってドドっとやってきた、それぞれが特に関連性があるわけではないのだけど。いや、ひょっとしたら自分の中の、何かに固執する性質が固着してしまったのがそもそもの始まりかもしれないな。

幸いなのは、我が不幸を笑ってくれる存在が一定数いることだ。最後まで笑われて生きるというのはなかなかできるものではないよ。



ここで終わるつもりは毛頭ない、あまり死にたいとも思わないし。およそどこかで落ち着くだろうさ。ただ、万一のことを考える時はある。

最近お亡くなりになられた桂米朝さんが、噺家が年をとったならその芸をよく見ておくように、死んでしまっては稽古をつけてもらえないのだから。と話をしていたのを思い出す。自分が持っている「芸」が、うまく誰か後進に伝えておきたいというのが、今の欲求だ。これまでは他の欲求が勝っていたけれど、不思議なものだ。

男なので子を産むことはできないし、職業柄ビルやインフラのような「残る」ものを作れない。だとしたら「芸」くらいしか無いんだよ。

露出だろうがシャッタースピードだろうが、絞りの使い分けだろうが教えるよ、暇があったら寄ってきな。そんじゃ。


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