11/02/2014

2014 J1 第31節 C大阪 1vs3 甲府 まだ届かない「声」。 #cerezo #photo #diary

2014年11月2日(日) 13:05キックオフ[ 観客 23,378人 ]雨のち曇

得点者

前半25分 カカウ(C大阪)
後半17分 盛田 剛平(甲府)
後半26分 山本 英臣(PK)(甲府)
後半28分 保坂 一成(甲府)

下らないことかもしれないけれど、サポーターは危機意識を持って、勝たせるために何ができるのかを考えてアクションを起こしていた。それは、試合に関係のない、試合に関与できない、サポーターって金払って応援しているだけの人間の自己満足かもしれないけれど。


選手は試合に関われる、すごいことだ。ボールを追い、パスを放ち、シュートを撃ち、ゴールを奪ってチームを勝利に導ける。なのになぜアクションを起こしてくれないのだろう、勝ってくれないのだろう。欲求不満がワインの澱のように心に沈んで、キツい。



スターターに変更はほぼなし。南野拓実はあいかわらず2列目で、トップは杉本健勇とカカウが入った。長谷川アーリアジャスールは右サイドでのスタート、センターバックは藤本康太と山下達也。ベンチにはディエゴ・フォルランが入っている。


前半立ち上がりはとても消極的だった、失点を恐れてリスクを計算した動きしかできなかった。けれどもそれは甲府も同じことで、お互い相手のふところには入らずにジャブばかりを繰り返しているような状態だった。


ただ一つ違っていたのは、セレッソには型がなく、甲府にはそれがあったということ。甲府はトップに38歳の盛田剛平を入れて、まずそこで起点を作るというやり方を徹底したいた。セレッソはそれぞれが個々にアタックするものの、そこから誰かと連携して崩すとか、アイデアを発揮するところが無くて、チームがチームとして機能していなかった。長い間、ずっと攻撃のスイッチになっていた扇原貴宏から丸橋祐介へのフィードですらままならない状態だった。


それでも、セレッソには運があり、カカウという決定力のあるトップがいた。前半25分の得点は酒本憲幸のパスカットがそのままカカウに渡り、甲府が守備組織を構築する前に決めきったもの。あれ以外に決めるチャンス、ああ惜しいという機会は一度あったか無かったか。それでもリードして前半を終えられたのはラッキーだったと言う他ない。


勝つのであれば、この運を掴んで放さないことが大事だった、守備を徹底するならそうすると、割り切ることも必要だった。ボールを保持するタイプの選手を後ろに置いて、前はスピードやドリブルで勝負するタイプの選手、プレスに行ける選手で固めてもよかった。次の1点をとるのか、守りを固めるのか、チームの意思統一がハッキリとされていないように感じた。


例えば長谷川はパスに強みがあり、守備でも堅さがある反面、スピードで勝負するタイプではない。彼が右サイドにいることで得られるメリットと、受けるデメリットのバランスがとれていない。逆に南野は前でカウンターを狙うには絶好の特性を持っているのに左サイドにいて、丸橋祐介と攻めるコースがバッティングしている。そうした一つ一つの不都合がセレッソのチームとしてのリズムを悪化させていったように見えた。


失点は……あれ単体はキム・ジンヒョンのミスだ。ただ、弁護するなら守備全体の連係もとれていなかった。甲府の捨て身の攻撃、左サイドの穴を執拗に狙ったアタックに対して誰も、何もパッチしようとしなかった。選手も、ベンチも。その結果があのゴールであり、その報いが2点目のPK、3失点目に繋がっていった。



そこから先のことは、書いても書かなくてもいいような内容。どこか惜しいと思うシーンも無く、どこか悔しいと臍(ほぞ)を噛むような出来事も無く、ただ淡々と敗れていった。ワールドカップで得点王に輝いたフォルランも、ドリブルで相手を切り裂くジョーカー、楠神順平も、なんの仕事もできなかった。選手交代で後手を踏んだ大熊裕司監督の采配を非難することもできるけれど、そんな文章を書きたいとは思わない。


このテンションで試合を続けていたら、多分間違いなく、落ちる。3度目の降格は、これまでのものよりずっと酷いものになるだろう。生活のためキャリアのため、人気の選手は我先にと泥舟を降り、スタンドから人影も消える。そうしてまたトップに戻るまでに長い長い年月と、かつての香川真司や乾貴士のような特別な才能が必要になるだろう。


もう苦しくなってしまったけれど、今はまだそれを回避できる道が残っている。270分間走りきり、どのチームよりゴールを奪い、どのチームよりゴールを奪われなければ、また来年、すぐに立て直すチャンスが残されている。なら、彼らは、俺達は走らなければいけない、声を出し、後押しをしなければならない。それは観戦と呼ぶにはあまりにマゾヒスティックな行動ではある。けれど、可能性が1%でも残っているなら、やろう。運命に身を委ねるのは、やり切って、走りきって、飛んで、跳ねて、声も枯れ立てなくなったその後なんだ。


1 件のコメント :

  1. こんにちは。
    貴兄のセレッソ愛に溢れた記事をいつも感心しながら読んでいます。
    それにしても、清水戦、横浜戦、甲府戦と、ここに来て、こんな試合をみせられて、本当にがっかりしました。スカパーで他チームの試合を見たら、その気迫の差に愕然とし、情けなさが増しました。
    勝負には偶然の要素が左右することは誰でも知っています。だから必死に戦って、勝ちに行って力を使い果たし、運なく破れても、共に悔し涙を流しこそすれ、こんなに虚しさの入り交じった腹立たしさをサポーターが感じることはないと思うんだよね。
    でも、結局のところ、そういった気迫のようなものを表現できるプレイをする技術を、もしかしたらセレッソの選手たちは持ち合わせていないのかもしれない。
    仮にそうだとすると、降格するしないということよりも、もっと深刻な危機にセレッソは直面していることになります。
    プロサッカーチームとして存続できるかどうか、それをかけて残り試合を戦うのだということを、選手も、フロントも、自覚してほしいと思います。
    それを見届けに鹿島戦も応援に行きますが、シーズン当初には、思いもしなかった状況ですねえ・・・

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