9/14/2012

少年たちよ、柿谷を見よ。 #cerezo

俺の知っているとある学校で、サッカー少年たちがおいたをして問題になっていたそうだ。詳しくはその子たちのために伏せておくけれど、話を仔細に聞くうちに、酷く残念な気持ちになった。

厳しい学校だったので、先生たちがすぐに動いてくれたらしいが、それがなかったらもっとエスカレートしていたのかなと思う。その子たちはテレビに映ったこともあるような結構有名な子たちだったようで、どこかに持ち上げられて、浮かれていたところもあったのかな。


サッカーはどこでするスポーツか。足?そりゃ足は必要だけれど、もっと大事なのは頭と心だ。セレッソのサポーターなら、柿谷のことを忘れないだろう。


柿谷以上にテクニック、スキルがある選手はそうそういない。プロ契約し、入団した16歳の頃から、他の選手より抜きん出た何かを持っていた。けれど、その力が十二分に発揮されるまで、長い長い時間がかかった。

なぜか?若いころの彼にはチームを、仲間を思う気持ちが欠けていたから。


入団したての彼は、よくひとりよがりのプレーをしていた。どれだけうまくても、Jの一線級が二人三人と囲めばボールを奪われる。それがチームのメンバーにとってどれだけのダメージになるか、その時の彼はわからなかった。

そうしてみんなと意識がずれ始めて、遅刻を繰り返し、徳島へとレンタル移籍することになる。あの時は、ひょっとしたらもう帰ってこないのかなと覚悟したものだ。


しかし、徳島で真摯にサッカーと向き合う倉貫や美濃部監督と出会えた。これは柿谷にとってとても大きな事だった。徳島で、柿谷にようやっと心が吹きこまれた。だから、再びセレッソのユニフォームに袖を通した柿谷は、チームを大事にするメンタルを強く持つようになった。


今年の柿谷は、以前と変わらず華麗なプレーをしてくれている。その一方で、ミスからボールを奪われた時、チームがピンチの時、労をいとわず、誰よりも早く帰陣して、相手の攻撃を遅らせている。

泥臭く、地味なプレーだけれども、あれをしているからセレッソは柿谷のチームになった。味方のために走る彼に、彼を信じた仲間からのボールが渡る。それがサッカーというスポーツなのだと、ハートで理解しているのだ。


問題を起こした子供たちが、もしこの記事を見ていたら(そんな事は万に一つもないけれど)どうか柿谷曜一朗のことをもっと知ってほしい。サッカーというスポーツがどういうものなのかを、もう一度考えなおしてほしい。もしそれを理解できたなら、君たちはすばらしい選手にも、すばらしい人間にもなれるはずだから。

0 件のコメント :

コメントを投稿