1/04/2012

「TESE」 感想 2nd 総連のある街に生きて。

さて、昨日からの続き。映画「TESE」のもう一つの側面について。


この映画を観た家内は、酷く暗い顔をしていた。

飲食店に入り、温かい食事を摂って、ようやっと話ができた。聞くと、この映画を観て、子供の頃「民族学級」で観させられた映像を思い出したのだという。


生野区では、今も「民族」という授業がある。月曜日の一番最後の時間で、殆どの場合日本人は帰らされ、「民族」の子供たちだけが残る。授業をするのは先生ではなく、NPO法人の人達。もちろん彼らも「民族」だ。

そして、民族の歴史や言葉、誇りについての勉強をする。そうするとどうしても「日帝」の時代は避けられない。どれほど我々が虐げられ、疎まれてきたかと子供たちに説いて回るのだ。

「あなたの隣にいた日本人は、私達を虐げてきた人達の末裔なのだ」

と言われて、心が揺れない子供などいない。


時々は、この映画の様なドキュメンタリーを学年ごとに、全員で見せることもあったらしい。そうすると今まで普通に話をしていた者どうしでも、ギクシャクとしたそうだ。


監督の姜成明氏は鄭大世や李忠成といった在日にルーツを持つフットボーラーに対する取材以外にも、チベット問題など、アジアのナーバスな問題に積極的に踏み込んでいる人物だ。北朝鮮のプロパガンダを作るような人間とは思えない。

だが、そんな彼や撮影に携わったスタッフが、他のクルーがなかなか踏み込めなかった北朝鮮代表の宿舎、バス、朝鮮学校や朝鮮総連の集会にまで踏み込めた、踏み込むことを許されたのはなぜか?家内にはどうしても受け入れられない「何か」を、そこに感じたのだという。


映像化するにあたり、スタッフ以外の「どこかの誰か」の力が加わっている。こういう見方を「穿っている」と言われても仕方が無いと、覚悟はしている。

ただ、俺の家内や一家は、生まれてから今に至るまでずっと、彼らと付き合い続けてきた。そうした人間の意見もまた、彼ら民族の声と等しく取り上げられるよう願う。もしその声が封殺されるようなことがあれば、俺たちはもう、彼の国を笑えない。

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