12/06/2011

桜の戦士であるならば。

クラブとサポーターの関係って何だろうと考えることがあった。

きっかけは、一つのブログ記事だった。平たく言うと柏にできたことがセレッソにできなかった、というところからのセレッソに対する少しネガティブな内容。

言ってることはまっとうだと思う。ただ俺は、まっとうなら、正しいなら、何を書いてもよい言ってもよいというわけではないというスタンスの人間なので、なぜそれを書かれたのか、少し悲しく思っている。


サポーターにとってクラブは父であり、母であり、友であり、恋人であり、我が子でもある。サポーターがチームに強いアクションを起こすのは、チームが最低限の仕事さえしていない時くらいでいい。少なくとも努力しているところに「もっと頑張れ」は、どうか。

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柏が100点をとったのに、我が子とくれば80点だ、これは酷い。と書いて、選手の動きが良くなったり、チームのサービスが良化したり、経営が安定するなら、いくらでも書く。でも多分、そうはならないだろう。

自分の子供が80点とったら、まずは褒めて、残りの20点をどうするかを、同じ方を向いて考えるのが普通だと、親の立場から言ってみたい。

俺が2006年の最終節、J2降格が決まったあと、当時の出原社長の前にある鉄柵を蹴り込んで「ふざけんなサポーターに挨拶してこいよ!」と言ったのは、声がかれるまで応援して、それでも力が足りなかったサポーターが皆涙しているのに、チームも(気づくのが遅かったかもしれないけれど)必死にやっていたのに、そのクラブのトップがのうのうとタバコをふかしてスタッフとダベっていたからだ。成績が悪いから怒ったのではなくて、その結果を真摯に受け止めて、次こそがんばろうって姿勢を見せなかったことが腹立たしかったのだ。

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その人のブログにも、少なからず読者がいるはずだ。その大半は、セレッソを愛している人だろう。彼らにその記事を見せて、何になる?サポーターを標榜するなら、プラスになるアクションを起こそう。もし傍観者であるなら、評論家であるなら、その限りではないけれど。

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