11/05/2008

人種の坩堝でテッチャン鍋を食べる。

 このところ食べ物関係の記事が続きますが、ご容赦、ご容赦。

 私の家の近所に冷麺館というお店の本店があります。市内に5店舗を出すほどの繁盛店の、その本店。名前に「冷麺」と謳うくらいですから、当然冷麺は美味。私はあんまり冷麺食べないんですが、ここのは食べられます。

 ここの裏名物がテッチャン鍋。牛の腸(テッチャン)とキムチ、豆もやし、ねぎ、エノキダケ、豆腐、たまねぎを辛目の(キムチが入っている時点で辛いんですが)味付けで炊いて食べる。いたってシンプルな鍋です。

 シンプルな料理だけに、主役であるテッチャン、味のキーポイントとなるキムチやジャン(一緒についてくる辛みそ)がいいものでなければ美味しい鍋にはなりません。で、ここのテッチャンやキムチは美味いと。そういうわけです。

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 シメは韓国のうどん「カルクッス」、きしめんのように平たい麺で、しっかりシコシコの歯ざわりが心地よい。大食漢が二人がかりでもこれの(大)は厳しいでしょうね。それくらいのお値打ち。しかも安い。


 こういう異国の料理が簡単に食べられるのは、当然ですがそれを料理している異国の人が身近にいるからです。昔から軽々と許容していたわけではないでしょうが、現実として今現在、この街から日本人以外の人がすべていなくなってしまったら、街は街としての体をなさなくなってしまう、それくらいの存在でいるわけです。

 そうなっている以上、理想とかどうとかは抜きにして、共存しなければ仕方が無い。そういう風になっているのです。日本人同士でも赤い人がいるかと思えば、三色旗を掲げている人もいて、一枚岩ではないのがまたややこしい。


 当然皆の言い分を全て受け入れてしまったら収拾はつかなくなります。ですから少しでも多くの人が納得できる妥協点を探さないといけません。そういう苦労は常に付きまといます。ただそれを「無駄」と考えず頑張ることが、良い住処(街であり、土地であり、国であり…)を築いていく第一歩だと思うのです。


 サポーターでもいろんな人がいる、それはご存知でしょう。チームにもいろんな色の選手がいます。海の向こうの多民族国家では今新しい大統領を選ぶ作業中です。どんな集団であれいろんな個性がある。人種や肌の色、宗教なんかは判りやすいからピックアップされるだけで、どんなサンプリングをしても人が10人いれば10通りの意見がでます。それをまとめてベクトルを収束していく、それがリーダーと呼ばれる人の責務なんです。難しいですよね。でも、やらなくちゃ。私?それはご容赦、ご容赦。

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