12/04/2007

近況と、またな。

 最近は心身ともにまいっております。西中島です。電話に出るときに本名にすべきか西中島にすべきか迷うのです。だって本名で出たら「だれっすか?」とか聞かれるんだもの。

 まあ、家内が入院してからは、ずっとこんな感じです。病状がよくなったり悪くなったりに一喜一憂。ダメだと判っているのですけれどもね、そういうのは。でも、喜ばずにはいられないし、悲しまずにはいられないし、そういう人だから「一生一緒にいよう」と心に決めたのだし。


 こうして死んだような日々を送っている最中、久方ぶりにコメンツが大量に来ておりました。

「ああ、優しい人もいるのだね。ありがたいね」

 と思ったら私の誤植ご指摘のコメントでした。ははは。

 でもこれが、本当に嬉しかったりするのです。名前を間違えてしまった柿本選手、柿谷選手には申し訳ないですが、私がこっそりと書いているブログを、こんなに沢山みて頂いているのだなということ、そしてその人たちが本当にいい人たちだということ、それを再確認出来たのですから。普通だったら炎上とかするんじゃないかなぁ。私のブログが燃えたのは一度くらい。本当にいい読者の皆様に出会えたものです。


 そうして観て頂いている方々に、いいご報告、楽しいエントリ、面白い情報が発信できればいいなと思います。さし当っては、家内の病気がよくなることとか、来季のセレッソの陣容とか、そんなところでしょうか。

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 そのセレッソですが、私が好きだったゼ・カルロス山崎哲也両名がセレッソを離れることになりました。好不調のむらっ気が激しく、守備に難があったゼ・カルロス、監督の構想から外れてしまった山崎。一円でも無駄が出せない台所事情を考えれば、これも止む無しなのかと思いますが、ゼ・カルロスは貴重な左利きのフリーキッカーで、ピンゴやアレーといった同郷の選手の良き先輩として、チームを引っ張っていた1人。山崎もサイドバック、センターバック両方を務められる「ポリバレント」な選手。また二人とも老け込むには早すぎる年齢です。何より苦楽を共にした仲間です。寂しくないと言えば嘘になります。違う世界にいても、他の国にいても、元気でいて欲しいし、出来ればまたセレッソに関わってほしい。

 昔の野球ファンなら、バルボンという選手をご存知かと思います。50年代から60年代にかけて阪急で活躍した「チコ」バルボン。キューバ人でスペイン語しか話せなかったバルボンは、生きていくために独学で日本語(というか関西弁)をマスターしました。現役を引退してからもその語学力と人柄を生かし、解説者や通訳、球団職員として活躍されています。「是」をみていると、その真摯な姿勢と明るいキャラクターが、なんとなく「チコ」にダブって見えてしまうんですよね。

 山崎は、これはもう大ファン(というかその枠をはみ出していますよね)なこの方の文章をご覧いただければ、どれ程の好漢であったかは十分ご理解いただけるかと。好きな人、好きを超えて好きな人と別れる辛さ、今の私には、少しだけだけれど、判ります。私は家内が元気になれば、また何年も一緒にいられるけれど、この別れは今生の別れかもしれない。それは、辛いのその先にある辛さだと思います。実は蹴球堂で一度お見かけしたんですが、本当に嬉しそうに山崎のゲーフラ持ってたもんなぁ。これだけ人の心をつかんだ人なんだから、選手としても勿論ですが、人として幸せになってほしい。この別れが人間、山崎哲也にとってプラスになることを祈っています。


 なんか最近、悲しい話ばかりのような気がしてきたんですが、冬ってそういう季節なんですかね。まあ、それも僅か三ヶ月です。春になれば、また鮮やかに、セレッソは咲きます。それまでは、辛抱、辛抱。

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