9/06/2006

ダービー昔話。

 まだダービーが今のような殺伐としたものではなかったころ、セレッソとガンバ両チームにそれ程差は無かったように思う。


 休みの日に遠足気分で万博まで。昔はむさ苦しい警備員のおっさんもいなかったし、アウェーのシート(と言っても芝生なんだけれど)も全開放が当たり前だった。開場直後なんてガラガラもいいとこで、選手が出てくるまでゴロンと寝転んで、芝の上でお昼寝。

 試合直前になっても、殺伐なんて言葉と縁遠いゴール裏。その時はランチマットを広げても、誰も文句なんて言わなかった。

 試合も、秋の陽光に照らされて、どこかのほほんムード。日向ぼっこしていたようだったファンセが、ボールを持った時だけ危険な匂いをプンプンさせていたのと、ガンバのゴール裏が分裂していて、てんでバラバラの応援をしていたくらいしか印象が無い。


 でも、そんなダービーは、本当に昔の話になってしまった。そしてトゲトゲしい空気がスタジアムを包みだした頃から、セレッソはダービーに勝っていない(去年の天皇杯は参考記録程度でしょう)。

 リーグ戦で最後に勝ったのは何時だろうかと調べてみたら、2003年のファーストステージまでさかのぼらなくてはいけなかった。その時のメンバー表。

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 よく見るといろいろ面白い。まずセレッソのメンバー、西澤を切り札で使えるほど豊富な攻撃陣と、お世辞にも堅守とは言えない守備陣は毎度の事。今チームに残っているのは6人で、残った選手は移籍していった者が多い。鈴木悟、佐藤、伊藤、千葉、布部、原…。

 対するガンバ、この頃からいい若手のコマが揃ってきた。宮本、橋本、二川は今でもチームの根幹だし、移籍してしまったけれど新井場もいい選手。大黒はまだ覚醒途中だったけれど、その後の活躍を見ればこの時経験を積ませていたのが正しかったのが判る。今のガンバの素地はこのくらいにもうできていたわけだ。


 若手でも中堅でも、定着率が悪いセレッソは、未だに困ったら移籍してくれそうな選手を探し回るクセが治っていない。まともに育てた選手なんてどれくらいいるか。

 いい外国人選手を手放すのも、例え苦しい台所事情があるにせよ、あまりいい気分のしないところ。ファンセ、ノさん、ユンさん、ファビーニョ。ノさんなんか今でも監督やってほしいくらい徳のある人だし、どうしてチームを離れなくてはいけなかったのか。その後の福岡での扱いなんか、観ていて辛かった。


 そういう差が、今になって出ているのか。去年は開幕でつまづいたのを反省材料にして躍進したけれど、それにあぐらをかいてしまった今年はどん底、こういうアップダウンの激しいのも変わらない。変わらなくてはいけないんだけれどもね。


 ダービーってのはご近所同士のぶつかり合い。同じ地域をベースにしているだけに、チーム運営もまた比較されやすい。出たとこ任せの運営を続けていたツケが、リーグ戦連敗に繋がっているような気がする。とりあえず目の前の一勝も大事なんだけれど、長いビジョンをもった運営とか、誇れるような組織、そういうものの進歩も、同じか、それ以上に大切なファクターだと思う。

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