7/13/2006

親父の話。

 子供の頃は、とにかく親父が嫌いだった。学が無かったし、粗暴だったし、弱いくせに酒ばかり飲んでるし。

 特に嫌いだったのは、よく夫婦喧嘩をするところ。ケンカが始まると私と妹は子供部屋に逃げ込んで、ずっとおさまるのを待っていた。そうして「ボクがお父さんになったら、絶対ケンカをしない」と決心した。家内と話をしていて食い違いが有っても、その時の事が思い出されて、いまだにあまり強く言えないでいる。


 そんな親父でもくたばってしまうと寂しいもので、時々数少ないいい思い出を反芻してみたりする。娘を育てていると、「あの時親父は私にこういう気持ちで接していたんだな」という事が判ったりして、なおさら寂しい気分になることもしばしば。親父は不器用な人間だったから、喜びも悲しみもあまり上手く表現できなかったんだという事を、ようやく理解できた。


 妹も母になり、そういう気持ちを感じ取れるようになったのか、親父のことをよく話す。親の気持ちは親になって初めて理解できるのかもしれない。

 そんな事を考えていると、まだ入院している妹から画像付きのメールが来た。手のひらにのった錠剤を見せる親父の写真と、生まれたばかりの我が子の写真を並べていた。「こうしたらお父ちゃんがヨシト抱いているように見えないかな」というメッセージが添えられていた。

 私はすぐに返信した。「パソコン使ったらもっとちゃんと抱いているように見せられるよ」。妹もすぐに「それお願いしていいかな」とメールをよこしてくれた。


 以前義弟くん(家内の弟くん)の証明写真を撮って、カミソリまけやできもののあとなんかを消してあげたりした事があったので、作業は以外に楽に出来た。親父の頭の断ち切れている部分を継ぎ足し、ヨシトくんのタオルケットのシルエットに色をつけ、二つの画像のカラーバランスをいじると、親父が本当に孫を抱いているように見えてきた。不思議なもので写真の角度もピッタリ合っていた。


 出来た画像は妹の携帯と、住んでいるマンションにあるデスクトップに送った。病院はとっくに消灯しているだろうに、妹から律儀にメールが届いていた。写真の出来に喜んでくれているようだった。


 私は下戸だから、仏壇の前で酒を飲みながら語る事も出来ないし、ずぼらなもので墓の手入れもあまりしてあげられない、なかなか親不孝な息子だ。親父の為に何かするというのは、葬式以来かもしれない。天国の親父はそんな私の事をどう思っているんだろうか。写真の事、喜んでいてくれたならいいのだけれど。

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