3/01/2006

ボスニア・ヘルツェゴビナ2VS2日本

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 燃えない。

 雰囲気、展開は申し分無しなのに、ゴールを奪おうが奪われようが。燃えない。

 以前からこの「不完全燃焼」状態が続いていて、理由はなんなんだろうって考えていたのだけれど、座談会の時にあおおにさんが面白い話をしてくれて、「それだ!」と思った。

曰く
自分の信じるサッカーを貫くという事と、
システムや選手起用を変えないという事とは違う。


 周りの皆がジーコバッシングをしているからそう思うのか判らないけれど、ジーコの代表には何か「監督の匂い」が希薄な感じがしていて、それが私の心に雨をふらせていたのだ。私は食いしん坊なんで、料理に例えるのが好きなんだけれど、ジーコというシェフがどんな料理を作りたくて、その為に何をしているのかが判らなくて、それが不満だったんだ。バカなんで自己分析が出来なくて、他の人の話を聞いてやっと気がついた。

 何を今さらって感じなんだけれど、代表というものは食材でいえばその国の最高級のもので、軽く塩をふってローストしたりするだけでも美味い。ジーコのサッカーに何かしらのフィロソフィーを感じ取ろうとするなら、多分それは「素材に手を加えず、それ自体の滋味を生かす」という事なのだろうけれど、ジーコがやっている事はシェフとして、してはいけない事のような気がしていたんだ。


 今日の試合を観ていて、多くの方が「後半左サイドがスカスカだった」と感じたと思う、結局この穴から守備が決壊してしまった。ジーコは30分以上、この欠陥を判っていて、交代枠が残っているのにもかかわらず、「滋味」を信じて放置していた。

 もし2-1のまま試合を終えたとしても、そこに何かしらの信念が感じ取れたなら、私は満足だったろうと思う。個の力によって強引にもたらされたドローより、修正点がビビットになる敗戦の方が、W杯という実戦に臨むに当たって、ずっと糧になるだろうから。


 もう一度まとめる。私は今の代表戦に、何の感動もしていない。でもそれは一部の悲観主義者や、奇をてらった自称見識者の真似事がしたいからではない。今度のW杯は日本のサッカー史の中で一つのピークだと思う。中田、中村、小野、こんなタレントが揃う事は、暫く無いだろう。そんな大事な時期の、その最高峰の舞台を前に、シェフが何も下ごしらえをしていない事が、ちょっと悲しいのだ。


 

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