12/27/2004

サッカーに県民性は反映されるか?

「金持ち父さん、貧乏父さん。」

名古屋のお金の使い方のまずさは県民性なのかなぁ。


 という事を書いていましたが、fromthemorningさんの記事でとても面白いものが有りましたのでご紹介します。「あれもこれもあんで」タイトルは「大阪ストラットですね。

 この記事をご一読頂ければ、セレッソが見事に大阪的なクラブであることが判るのですが。これは必然なのでしょうか?それとも偶然なのでしょうか?そしてもし必然であったとしたら他のクラブでもそれは見られるものなのでしょうか?

 それを調べようとして、さらに別の記事を発見しました。blog武藤文雄のサッカー講釈さんの「日立-ヤンマー、伝統の香り」より。

(前略)

こちらは日立-ヤンマー戦ではないか。紛れもなく、30年前は黄金カードだった試合だ。古河も三菱も往時から、チームカラーが変わってしまったが、この両チームの基本色は変わっていないな。

(中略)

ただ、両チームともチームの性格、特徴(これもチームカラーと言うな)も、結構伝統にのっとっているようにも思えるのだ。

 レイソル(日立)については、厳しい言い方になるが「将来を嘱望された優秀な人材を多数所有するが、あまり伸びない」と言う伝統だ。

(中略)

セレッソ(ヤンマー)は、「飛び切りの攻撃ラインと怪しげな守備ラインのアンバランス」が、ヤンマー時代を思い起こさせる。釜本全盛時代も、守備ラインは結構不安だったのだ。素朴な疑問だが、どうしてかくも「攻撃」で有効なタレントの補強は巧いが、後方のタレントの補強は下手なのか。これを伝統と言うのかもしれないが。


 なんとまあ、セレッソの攻撃偏重は30年間変わらぬものであったのです。逆を言うなれば、30年間、大阪のサッカーファンはこのスタイルを甘受し続けていたという事になります(もちろんエミリオ時代など例外も存在しますが)

 もし、そのスタイルが地元に受け入れられないものであったなら、少しずつでも時代時代でスタイルは変わっていくはずです。少なくともセレッソや柏に関しては、チームカラー(≒県民の嗜好するスタイル)が存在していたのです。

 また静岡のように昔からサッカーが盛んだった地域のクラブも、県民性を感じます。清水はまだ歴史の浅いチームですが、ずっとパスワーク主体の実に静岡的なチームです。


 一方で、当然例外が有ります。鹿島などはJリーグ開幕という転換期に「生まれ変わった」チーム。これらは母体こそあれ、急激な成長をしたため、まだ県民色は薄いように感じます。同じことは仙台や新潟にも言えるでしょう。

 ただこれらのチームも、歴史を積み重ねていく過程で、それぞれの地域色を反映したチームに変貌を遂げるやも知れません。


 確かに県民性とサッカーには関係が有りそうです。生粋の浪速っ子である私が、セレッソに心惹かれてしまったのも、偶然ではなく必然だったのかも知れません。



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